社長の独創的アイディアと新価値への道。それは何気無い日常から新たな空間を探し求めること
 
2009/01/29:タイムスリップ

先日、テナント改修工事の打合せで、
35年前にタイムスリップする出来事がありました。


私が小学生の頃です。


私は長野県下伊那の山奥で生まれ、後に両親の都合で名古屋に来ました。


名古屋市の西区です。西区と言っても西春日井郡との略さかえで、道路の向かえは西枇杷島
西枇杷島と言っても分かる人は少ないと思いますが・・・
その名古屋市と西春日井郡のさかえに住んでいたことで、今では信じられないことが
沢山有ったのです。


まず一番は、通学時間が1時間、直線距離にして約3キロ、田舎では珍しいことでは
ないと思いますが,名古屋市内で通学時間が1時間はないですよね?
高学年の子はいいですけどまだ幼稚園から上がったばかりの1年生の子は大変ですよ。


私が当時の親だったら、学校の近い場所に転校させたいと思ったことでしょう・・・


次に、これも今では信じられないことだと思います。
前文で言ったように転校させたいと思うぐらい遠いので、名古屋市内に住んでいながら、
スクールバスや自転車での通学の案まで出ていましたが、さすがに許可されませんでした。

しかし、これも非常にまれですが、私たちの学区に限り西春日井郡の小学校に
期限付で登校できたのです。


なので私は小学校の一年は(通称)西枇小、二年からは名古屋市立山田小に通いました。
当時の友だちは二年生まで(通称)西枇小に行ってた子も居たと思います。


それでも子ども会とか行事などは、あくまでも名古屋市の規定であったと思います。


今ではとても考えられないですよね・・・


だけど今考えると良いこともあったのです。1時間も掛けて通学していたことで、
私たちの時代の子供たちは非情に足腰が丈夫だったと思います。


それを実証したのが、子ども会の連合運動会。


ちょうど私が育った頃は高度経済成長の頃と言うこともあって一学年10クラス以上
6学生まで入れればすごい数ですよね。
当然子ども会の数も多く、大会もかなり盛大だったように記憶しています。


そんな中私たちは、特別な練習をした訳でもないのですが、
初参加でいきなり優勝か準優勝したのを覚えています。


何で、こんな話になったかと言うと、今回テナント改修工事の打合せでお会いした方が
私がよく暗くなるまで遊んでいた少年時代の思い出がいっぱい詰まった町に
当時から今も変わらずその場所で会社をされている地元の社長様だったのです。


そんなことからほとんど忘れかけていた35年前の記憶がよみがえり
何となくいい気分になりました。

コメント(2)
Blan :

長野の生まれですか
では、伊那…のお祭り、知ってますか?

私自身…すごく記憶に残っているのが、伊那の花火大会なんですよ(^^)
メロディ花火で真上で花火を見て…ワァ!キャァ〜(^O^)と感動しました。

もう一度、見たいです。
まだやっているのでしょうかね(^-^)
私が行ったのはかなり前になります。
まだ…やっていたらいいなぁ〜


2009年02月06日 12:02
Anonymous :

やってるみたいですよ。

私もかなり前に偶然見たことがあります。
私が今までに花火で感動したのは、豊田と伊那の花火
ですね。やっぱ花火はシチュエーションが大事ですね。


2009年02月06日 15:40
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